昨日のよしりん先生のブログに
『水戸黄門』の例えが出てきました。
「偉大なるマンネリ」と言われた、
毎回毎回パターンを
繰り返すものの例えです。
その『水戸黄門』も昨年暮れに
終わってしまったわけですが、
最終回前、終了記念の特番を
たまたま見ていたら、
昭和44年(1969)の開始当時、
テレビ時代劇
『ナショナル劇場 水戸黄門』
は「斬新な番組」だったと
説明があり、意外に感じました。
それまで「ファミリー向け時代劇」
というものはなかったらしく、
高度経済成長で一家に一台
テレビが普及した時代を捉え、
徹底して「家族全員で見られる時代劇」
を目指し、大ヒットしたということでした。
似たようなことは
『サザエさん』にも言えるようで、
現在の都市部では
滅多に見られない3世代同居の
極めて「保守的」な世界に見える
『サザエさん』ですが、
原作漫画の開始は
終戦翌年の昭和21年(1946)。
当時としては、
良妻でも賢母でもない、
快活でそそっかしくて
弟と取っ組み合いの
ケンカをするような
ケンカをするような
女性が主人公というのは
相当に「斬新」で、
相当に「斬新」で、
戦後民主主義の幕開けの
時代を捉えていたと、
ある漫画評論で読みました。
時代を捉えていたと、
ある漫画評論で読みました。
今となってはすっかり
わからなくなってますが、
旧態依然と思えるものでも、
何だって最初は
「新しい」ものだったのですね。
しかし、時代が変われば
「古い」ものになる。
時代に取り残されれば、
終わってしまう。
終わってしまう。
『水戸黄門』が終わるなんて、
一昔前には考えられませんでした。
しかし、時代が変わり、
「一家そろってテレビを見る」という
習慣がなくなってしまえば、
「ファミリー時代劇」としては完璧だった
『水戸黄門』も終わっちゃうのです。
どんなに古く見えるものでも、
最初は新しい。
そして、時代の変化に
対応できなければ、
終わってしまう。
皇統問題だって、
同じことです。
後醍醐天皇の
「今の例は古の新儀なり。
朕が新儀は未来の先例たるべし」
に見られるように、
皇室は決して新しいことを否定
するものではありません。
そして、側室が廃止された時点で、
とっくに男系男子限定で
皇位継承ができる時代は
終わっているのです。
それでも「男系男子」にこだわり、
皇統が安泰だと言い張る人たちは
「『水戸黄門』が終わる時代なんて
絶対に来ない!」
と言っているようなもの
としか思えません。